戦後60年企画 小沢一郎前副代表×山口二郎北海道大学教授
「戦後政治の到達点と課題」
プレス民主  137号  
この対談は、戦後60年の特集企画として総選挙結果以外の部分は、7月に実施し、選挙結果の部分は選挙結果を受け追加したものです。


戦後政治の総括
自己修正能力の欠如

山口二郎  戦後60年を簡単に総括すれば、おおむね国民の努力で安定した民主政治と繁栄した経済を獲得したことは大いに評価すべきとは思いますが、戦前からの問題点、欠落点があると思います。私は「自己修正能力の欠如」という言葉を使っています。戦争に突入する過程でも自己修正能力がなく間違った判断、あるいは希望的観測に基づいて破滅への道を転がり落ちました。戦後の政治はある意味で変数を減らし、国内的には先端的な工業をまず発展させ富をつくり、それを再分配する、対外的にはアメリカの傘の中で、非常に少ない変数で国家経営をしてきました。いま、この変数が少なくて済んだ時代が終わり、また自己修正能力がないままに、漂流していると言えます。

小沢一郎  結論は、いまお話しの自己修正能力の欠如、それに尽きると思う。戦後政治は結局、冷戦構造、米ソ二大陣営という世界的な枠組みの中で終始し、日本はさらに、アメリカの戦略の範囲内、温室の中で育ってきた。良くも悪くも本当の意味での政治は日本の戦後にはなかった。つまり、国民の代表たる政治家による政治の決断は、ほとんど必要がなかった。得たものの配分が政治のすべてとなり、配分権を持つ役人が全権力を握ることになったのは必然の結果だと思う。

山口  ヨーロッパの冷戦構造は共産圏に対決する西側が、ドイツ、フランスというかつての敵国同士が手を結ばないと、共産主義に対抗できない状況があり、西側で第二次世界大戦の終結、決着のための作業が必要だった。それが単にアメリカを中心とした西側陣営の体制整備の意味を超えて、ヨーロッパの地域的な協力に発展し、さらに冷戦構造を突き崩すヘルシンキ宣言以来のヨーロッパのイニシアティブにつながりました。その意味では、確かに政治が存在したと思います。
 ところが日本の場合は、日本が一番の西側陣営の橋頭堡で、中国大陸には共産主義政権があり、朝鮮半島は分断という状況下で、日本はアメリカだけを見ていれば物事が全部片付づいた。その意味では、単純過ぎる環境であったと言えます。
 ところが、90年代は冷戦の終結とバブルの崩壊という内外の二つの変化が日本の政治に大きなインパクトを与え、彷徨ってきましたが、この15年ぐらいを振り返りどうお感じですか。

小沢  「失われた10年」という言葉がありますが、僕は違うと思いますね。物事を変えていく、あるいは時代が移り変わる時はそんなにスパッとはいきません。時間の経過が必要だ。特に、日本のように極端に変化を嫌う国民性を勘案すると、決して「失われた10年」ではない。国民の意識は、永田町や霞が関、大手町でノホホンとしている人たちより、はるかに進んだと思います。
 ただ、しがらみやいろんな仕組みがそのまま残り、その中で生活していますから、市民運動的な形での政治的な活動は、日本の場合なかなか起こりにくいのが現状だと思います。しかし、国民自身はこのままでは不安だ、現状には不満がある、何か自己改革しなければいけないという思いを強めてきています。

国際社会における日本の役割と憲法
制約的な自衛権行使

山口  日本がどういう形で自衛隊を使い、もちろん他の手段も含めて国際的に貢献するのかという問題意識はかなり共有されてきました。同時に、9・11の後、アフガン、イラクへのアメリカの一極主義的な軍事行動が前面に出て、それに対抗するテロがさらに続く中で、やみくもに軍事力を使うだけでは物事はどうも解決しない、というように、議論の土俵がある程度絞られてきたと考えられます。

小沢  ええ、議論する下地はできていると思う。アメリカ一極によって力で平和を維持することはできない、ということも皆分かっている。では、日本はどうするのか、どういう役割を果たすのか。それを全然考えていないのが永田町、霞が関です。

山口  憲法解釈の問題が論点として挙がっていますが、どうも最近の、特に自民党の憲法論議を見ていますと、基本的な政治の原理とかルールまでもひっくり返す気配が感じられます。
 もう一つは、小泉さんがアジアの国々との関係を悪化させている状況の中で、日本がいま憲法9条を変えることの持つ対外的な意味を考えると、9条から憲法を改正することは、少なくともいまの状況判断では慎重になったほうがいいのかなと思っています。

小沢  僕は憲法について固定した観念は持っていません。憲法は、我々が社会を構成して、我々がより良い生活を送るためのお互いの約束であり、その最高のルール、一番の基本となるものです。世の中が変わり、時代が変わって、そのルールが合わなくなったら変えるのは当たり前。しかし、自民党は新しい時代の理念、あるべき国の姿を真剣に議論しているとは思えない。20世紀の歴史は何だったのか、だからこの21世紀はどうあるべきなのか、そのためには日本はこうすべきだという理念がまずなければならない。そのためには憲法も変えなければいけないというのなら分かりますが、これまでの憲法論議はそうではない。

山口  もう一つ、小泉政権の下で明らかに自衛隊、日米安保が変質させられた現実があります。国の最高法規であり、政府を縛る一番大事なルールとしての憲法が大切だとするならば、小泉さんのようないいかげんな話、まさに説明を拒否して、論理も何もなしに、ひたすら事実としてアメリカの注文に応える形の政権運営について、「皆さん本当にどう思いますか」と聞きたい。論理を無視し、ルールを踏み外した権力の運用ができるのなら、憲法の存在意味がないじゃないかと。

小沢  単なる現実の必要性だけを強調して、全く無原則に、なし崩し的に既成事実をつくっていく。これは最も官僚的な手法であり、しかも日本人の最も悪い癖だ。だれも責任をとらず、だれも原則を示さず、次々となし崩し的にことを進めていく。僕は非常に危険だと思う。

山口  憲法9条をめぐる論点の一つは、集団的自衛権を認めるかどうかですが、この間もアメリカの高官が「集団的自衛権を認めない日本の9条解釈はナンセンスだ」と言ったという新聞報道がありました。その点はどういうお考えですか。

小沢  9条は、正当防衛以外の自衛権の発動を禁止していると解釈できます。「自衛」と「正当防衛」は英語ではself-defenseと同じですが、別な言い方をすると、急迫不正の侵害、もしくは本当にこのままでは日本の侵略につながることが明らかな場合も含んで、日本が攻撃を受けた場合にのみ自衛権の発動が許される、ということです。
 それ以外の、日本に直接危害が及んでいない事件について、日米が共同してどこにでも軍事力を展開できるというのは、完全に9条に抵触する行為だと解釈しています。9条によって、当然、自衛権は集団的であれ個別的であれ制約を受けている。
 古今東西の歴史を見れば明らかだが、集団的自衛権であれ個別的自衛権であれ、「自衛権」の拡大解釈によってすべての戦争が起きています。集団的自衛権を日米同盟という基軸でとらえ、米国と一緒なら世界中どこにでも行けるというのは明らかな間違い。また、個別的自衛権について、日本人もしくは日本の財産、権益が侵された場合は、どこにでも軍隊を派遣できると解釈するのは、昔と同じ過ちの元です。

山口  その形で9条の解釈をまとめるのが、国民的な常識に一番近いと思います。

小沢  そう思いますね。

山口  私はこの春しばらくイギリスに留学しており、ヨーロッパの終戦記念日、VE-DAY(Victory in Europe Day)を見学しました。第二次世界大戦の後始末の仕方の約束事が、負けたドイツでも勝った英・仏にも共有されている。ナチズムを倒し、ヨーロッパを圧政から解放して民主主義と平和を回復したと。社会主義が崩壊した後のロシアもその枠に乗り、ロシアも一緒にナチズムを倒してヨーロッパを解放したという60周年の式典が大々的に行われました。一方、日本は、一国単位、自国の殻に閉じこもり、靖国問題とか戦争の解釈とか歴史認識とかを議論していますが、もう少し枠組みを広げて、第二次世界大戦の決着をつけ、それをある程度アジアの国々で共有するという方向に持っていければいいなと、強く感じました。大きな流れでは、第二次世界大戦が終わりヨーロッパの列強がアジアから引き、各国が自立し、中国も統一国家となった。そう見れば、日本からある種のメッセージを発信し、大戦が終わった後のアジアで平和と民族の自立ができたと言える。その形での歴史的な和解がないと、いつまでも戦争責任の問題が尾を引き、お互いの感情が悪循環を引き起こすのではないか、という感じがして仕方がありません。

小沢  先の大戦にけじめをつけると同時に、将来どうあるべきかを日本は発信すべきだと思っています。結局、日本の、特に戦後の政治には本来の「政治」が全くなく、政治家もそうした発想が全然ない。そこが問題です。だから、アジアの国々、あるいは世界で、日本に対する評価はすこぶる低い。日本人は、世界の平和、世界の秩序はどうあるべきかという考えを全く持っていない。だから評価されないのです。

山口  仮に、日本がある種武力行使の可能性も含み自衛隊を国際的な場面に派遣するのは、具体的に考えるとどういう状況でしょう。
小沢 地球規模の国際的コンセンサスの下での派遣ということですね。それはもはや、個々の国の国権の発動、つまり自衛権の発動による行為とは別物。全く異質の行為です。それは憲法9条に抵触しないというのが僕の考えです。

山口  その点は戦後の憲法制定の過程で、例えば南原繁東大総長が貴族院議員として議論したポイントですね。将来、日本が国連に加盟できた暁には、日本も国際的な正義を実現するために必要とあれば参加するということを南原は発言した。しかし、その後、その問題は封印され、宿題になってきたという面があります。私も、日本がある意味で国際的な強制力、警察力の提供に参加する場面があり得るのかなと感じています。ですから、国際社会における「法の支配」をどう担保するかとの観点から、議論をしたほうがいいのではないかと思います。

小沢  国内でも一般の人と警察官とは違う。一般の人は正当防衛権を認められているが、警察官は個人の正当防衛権で武力を行使しているわけではない。社会の約束として治安の維持のために武力の保持を認められ、秩序の維持に当たっている。それは個人の正当防衛権とは全く別だ。国連でコンセンサスが得られた場合は、国際社会の平和を維持する活動は警察官の秩序維持の役割と同じです。ただ、国連にはまだ常設軍がないから、レンジャー部隊の派遣を各国に要請することになります。僕はもっと進めて、日本がそれに積極的に部隊を提供すべきだと思う。国連が不備であればあるほど、日本が積極的に役割を果たすことでアメリカの単独行動主義を抑制できる。その役割を日本は果たさなければならないと思いますね。

新しい国家目標の設定とビジョンの提示
主権国家を超え共生へ

小沢  東西冷戦が終わった時、これで世界に平和が来ると喜んだ人たちが結構いた。しかし、国家間の大規模な戦争は大量破壊兵器などの発達によってできなくなったが、地域紛争はむしろ増えています。人間の歴史は、戦争の間のつかの間の平和か、平和の間の戦争か、とよく言われますが、争いの繰り返しであった。私たちの世代が継承した近代国家も主権国家として、それぞれの国家がそれぞれの利害を主張し、交渉でダメなときは力ずくで争ってきた。それが実に20世紀まで続いてきました。古い主権国家論を展開していたのでは、いつまでも争いはなくならない。主権国家万能的な考え方から脱却して、「共生」あるいは「共存」の考え方を共有し、実践しなければいけない。それは人と人との共生と、人と自然(地球環境)との共生という、二つの側面がありますが、21世紀はその二つを実現する時代にしなければならない。そのためにこそ、西洋文明にありがちな、強いものが生き残るといった、あるいは万物の霊長たる人間のためにすべてが存在するといった、独善的な考え方でない日本人の良さを発揮しなければならない。21世紀の平和の哲学、共生の哲学を日本から発信するという志を持ちたい。先ほど山口先生がおっしゃったように、アジアの戦争の後始末と同時に、未来への構想、ビジョンを先導的に打ち出すことが、日本の21世紀の役割ではないかと考えています。

山口  そうですね。21世紀が9・11のテロとともに始まったことへの反省ですよね。私も、東洋、西洋という図式で物事を単純化することにはあまり賛成ではありませんが、アメリカが中心の西洋文明、経済システムにおける市場資本主義、さらにアメリカの持つ軍事力、アメリカ人の宗教的な自己中心主義、独善主義、それらが世界そのものを脅かしているというのが現状ですので、それとは違う、人間の共存なり地球の持続というシナリオを描かないといけないと思いますね。文明化された人類の歴史は2000年ちょっと、地球全体の30億年の歴史から見ればほんの一瞬です。たまたまここに来る飛行機の中で、気候変動の本を読んでいましたが、人類が地球に誕生しても氷河期、温暖期があり、いま我々が生きている時代は非常に長い歴史の中で貴重な貴重な一瞬だということが良く理解できました。だとすれば、それを自分たちで破壊することの愚かしさ、もったいなさ、その感覚を少し政治の課題として自覚化する問題提起が本当に必要だと思います。

小沢  全く同感です。しかも、それを日本人が世界に向けて発信できれば素晴らしいなと思います。

山口  そう思いますね。

05年総選挙の意味と政治改革
二大政党制への試練

山口  ところで、先の総選挙では小泉自民党が圧勝しました。これは、小沢先生が92年〜93年に政治改革として小選挙区制の導入を主導されて、およそ10年後、形の上では政党政治らしいものができたという意味だと思います。しかし、本当の意味での政党政治かと言えば、大いに問題です。争点を郵政民営化一つに絞り、しかも、その郵政民営化が日本の行政・財政・経済システムをどう変えるのか、それと郵政民営化はどう結び付くのかが全く議論されないまま単純化されてしまった。これでは、政治改革の結果としての政党本位・政策本位の選挙とは言えません。
 しかし、単純化されたことで「小泉旋風」が吹き荒れ、その前に民主党は敗れ去りました。単に民主党はメディア対策がまずかったといったレベルではなく、もっと深い総括が必要だと考えます。小沢先生はどのように見ておられますか。

小沢  良くも悪くも、小選挙区制度の特徴が遺憾なく発揮された選挙結果だったとは思います。その点では、僕が小選挙区制度の導入を無理やりに推進した意味はあったと思います。小選挙区制度は本来得票差以上に議席差が顕著に現れるので、中選挙制度や比例代表制度よりも政権交代がしやすい制度です。だから、私たちがちゃんとやっていけば、次の総選挙では逆の結果になる可能性は大きい。
 真剣に考えなければならないのは、日本の民主主義の成熟度の問題です。マスメディアを含め、議会制民主主義、政党政治というものがまだまだ理解されていないことが与党圧勝の最大の原因です。しかし、民主党がそのレベルに合わせて、明解で分かりやすいメッセージを発信できなかったことは大いに反省すべきです。もっと勇気を持ち、新しい時代の理念・政策を、今の政治レベル、国民のレベルに合わせた手法・表現で打ち出さなければならない。現状では、権力を持つ政権与党を打ち倒すにはほど遠いと言わざるを得ない。僕自身を含め、全党が深刻に考えなければいけないと思います。

山口  私も「民主党政権は日本をどうするのか」という全体としてメッセージが、国民に見えなかったのが、最大の敗因だと思います。小泉さんは「官から民へ」「小さな政府」を掲げ、これから政府は世話をしない、民間で、とのメッセージ性を持ち、しかも、逆らう奴は叩き潰すというある種のリーダーシップを振るった。 しかし、それはある意味では、政治そのものの原点の変更ではないでしょうか。国民が抱えている問題を解決する、自分ではなかなか解決できない問題を政治の場に持ち込んで、議論しながら解決する、その営みとしての政治が全く否定され、非常に抽象的な争点が○か×かで争われ、自民党の中でも地方、いわゆる弱者と言われる人、生活実感からスタートして政治を考える人たちが追放されました。手法は問題があったにせよ、昔の田中角栄型政治こそ政治の原点ではではないかと、逆に小泉さんを見て感じます。やはり地域で暮らしている人たちの悩みや苦しみをすくい上げることを放棄して政治に何の意味があるのかと感じます。

小沢  小泉さんには、国民のための政治という発想が、そもそもないのです。彼の頭にあるのはパワーゲーム、権力闘争だけです。ところがメディアや国民は小泉政治で日本が救われるといった錯覚に陥っている。そこに、今の日本のレベルの低さと危うさを感じます。
 僕は、自民党政治は日本的コンセンサス社会の象徴だとみています。それは本来、平等を旨とした日本的民主主義ですが、小泉さんはそれを吹き飛ばし、強者の論理の横行、勝てば何でもいいという政治にしたのかな、と思います。もう一つ、前にも言いましたが、戦後の日本に本当の意味での政治がなかったということは、裏返せば自民党政治の本質は官僚支配だということです。そこにも小泉さんは何ら手をつけていません。それどころか、小泉政権ではむしろ官僚支配が強まっています。


山口  小泉さんが自民党を変え、権力志向、強者の自由を尊重する方向に舵を切り、党内にはそれに反対する勢力がいなくなった。そうすると、二大政党、政権交代を考えれば、民主党は戦いやすいのではないか。

小沢  僕は、日本の二大政党をこう描いているんです。一方は、自民党に代表される日本的コンセンサス社会と平等を基本の政治哲学として持つ、ある意味で内向きな政党。もう一つは、公正さをより重視し、もう少し外向きで、多少自由の範囲を広げる政党。この理念・哲学の対立する二大政党が政権交代することで、日本は時に応じて内向きになり、あるいは外向きになる。もちろんそれは程度の問題ですが、そういう二大政党の政権交代が理想的だと思います。

山口  私の考える二大政党制のイメージは、「大きな政府・小さな政府」という議論は昔からありましたが、一方は、アメリカ型で政府の役割を小さくし、プラス・マイナス含めて市場メカニズムを中心に世の中を運営する路線、他方は西ヨーロッパの多くの国々のように、セーフティーネットを用意し、最低限の国民の生活を確保して、その上で競争していく考え方。その形の二大政党制が世界的には一般的ですよね。

小沢  ただ、日本では、アメリカのように、強い者が勝てばいいという考え方はなじまない。通用しない。だからこそ、小泉自民党は長く持たないと思います。

山口  自由が大前提ですが、ただ形だけの自由では強者の自由で、弱者には自由がなくなる。今の小泉さんの路線は冷淡で、強者中心、大都会中心です。
 地方交付税を切り、社会保障の負担増と増税を進めれば、もっと日本にはいろいろな問題が累積し、必ず政治の出番がくると思います。どうあがいても与党が3分の2を占める今の体制では、小泉自民党が強大な権力を持ち、彼らのペースで物事が決まるのは仕方ないので、民主党は、その路線が行き詰まる時の状況を予測しながら、ともかく自分たちの剣を磨くことだと思います。
 先生の地元の岩手県も、私のいる北海道も総選挙では逆風の中、結構民主党が頑張りました。その原因は何かと言えば、政治の原点である、地べたを歩き回って一票一票掘り起こす、あるいは人の話を向き合って聞き、何が問題かを考える姿勢だと思います。それが先生のおっしゃる日常活動でしょう。これも必要だと思います。

小沢  本当にそう思います。小泉的な手法は、ただ単に官僚統制を強めるだけです、その結果、国民に何がもたらされるかは、もう分かり切っています。そんなに長い先ではなく、近い将来に破綻を来たす。財政面だけではなく、社会的に国として破綻する状態になります。その時は、国民の支払うコストは非常に大きくなる。そのコストは最終的には政治家が払うわけではない、一般国民が払うことになる。だから、僕は「国民一人ひとりがもっとよく考えてほしい」と言っています。しかも、コストの負担は貧しい人ほど重くなる。そこをきちっと我々は認識して、国民にアピールすることが必要だと思います。
 日常活動について言えば、一般の国民が何を考えているか会わないと分かりません。マスコミを通じて分かるではないかという意見もありますが、そうではない。政治家は一言でも、二言でも会って話すことでいろんなものを感じ取ることができる。それが民主主義の原点です。

山口  1997年に労働党が18年ぶりに政権に戻った時の選挙を私はイギリスで見ておりまして、ボロ負けした保守党が野に下った。メージャー党首も交代した。大敗のショックでジタバタして、どう目立とうか、どう新聞の見出しをとろうか、どうテレビに出るか、そういうことばかりしていた時、「タイムズ」紙に、特に野党はいつもジタバタ動き回り目立つことばかり考えてはだめ、沈思黙考、しっかり考え、英語でSoul Searchingと言いますが、自分たちの魂は何なのか、自分たちが今回負けて立ち直るためには何をすればいいのかをちゃんと考えろという趣旨の、「野党に対するアドバイス」という論説が載りました。今の民主党にもそのタイムズの論評を贈りたい。こういう時は「本当にまじめに考えている」という姿勢を示すほうが、世の中にインパクトを与えることになると思います。
 このための議論は大いにすべきです。全国会議員が合宿してでも。

小沢  そうですね。議論のたたき台を、執行部が自信をもって提出して議論すればいい。朝からエンドレスで議論すれば、それだけでもマスコミが取り上げますよ。そうやって徹底的に、議論して出した結論には皆で従えばいい。 

山口  大いに議論してください。期待しています。

民主党は沈思黙考し
自分たちの剣を磨くこと
政治家は会って話すこと
それが民主主義の原点
ページのトップ